「哲学と公共生活」マーサ・ヌスバウム インタビュー
(訳:藤本拓自)
ステリオス・ヴィルヴィダーキス: 哲学が、公共生活、教育、応用倫理学などでもっとアクティブな役割を演じる可能性について、どうお考えですか?
マーサ・ヌスバウム: 多くの可能性があります。国によって本当に様々ですね。合衆国というのは、ある点では、哲学が公的な役割を演じるのにもっとも困難な場所です。なぜかというと、メディアが非常に扇情的で反知性的だからです。わたしがヨーロッパの国に行くと、大半が、合衆国よりもずっと新聞に記事を出しやすいんですね。『ニューヨーク・タイムズ』の
オプエド欄(註1)はひどく程度が低く、もはやわたしはそこで何か記事を出そうなどと悩みさえしません、あそこは複雑な議論なんて少しも望んでないんですから。そんなわけで、わたしは合衆国にとてもうんざりしています。対極的に、オランダは、巨大な哲学の公共文化をもっていますね。オランダには『哲学』(Philosophy)という非常によく売れている雑誌があるんですが、わたしの『思想の隆起』
(註2)、これは非常に長い本でしてオランダ語だともっと長いんですけれど、これが英語で非常に良く売れただけでなく、数ヶ月前にオランダ語に翻訳されて、すでに4000部売れたんです。これはまったく尋常じゃないことだと思います。でもそれは、哲学に関するテレビ番組、しかし単に政治哲学だけじゃなくて、感情とか、精神とか、そういったものも扱っている番組があったりするからなんですね。でも、長い時間かけて、啓発していかなくては。ジャーナリストやメディアなど、皆が役割をはたさなければなりません。
わたしは、もっと国際的に哲学と関わっていけると気付いたんですが、それはある意味、運の問題でした。今は、大規模で、すごく刺激的だと思っている、「人間開発と潜在能力協会」(Human
Development andCapability Association)
(註3)という協会があります。それはイタリア、パヴィーアの会議で3年前にはじまったものです。その前に、他に3つ、準備となるような会議もありました。最初に、
アマルティア・セン(註4)の
潜在能力(capabilities)(註5)に関する研究を話し合うもの。続いて、わたしの仕事。3つ目はもっと一般的なものについて話し合うもの。関心は多岐にわたりました。経済学、政治科学、哲学、政治、そういった分野の若者──若者だけでなくほとんどの世代なんですが──たちが、世界中からやってきていることを知ることとなりました。わたしたちが公式にそこで協会をたちあげた会議では、86以上の国々から200の論文がきました。最初の2年間はセンが会長で、いまはわたしが会長をしております。
しかし、もちろんこれはある程度、運の問題です。ちょうどこういったことを起こすべく決意していた若くて非常に才能のある学者グループができたのは幸運でした。彼らは、何事であれ、単にそれまでのやり方のままではせず、自分達の研究の中から莫大な時間を投入します。そして今では、国連開発計画(United Nations Development Programme)によって運営され、毎年最良の会議論文を出版している『人材開発ジャーナル』があります。発展途上国から人材がやって来るのにお支払いする、より多くのお金も入手しつつあります。思いますに、これの一番良い点は、潜在能力に関して研究している人のために、人材を結集することですね。いまこの協会には600名以上のメンバーがいて、みな一緒に働いており、生成される様々な論点について多くを学んでいます。学問と政策の世界のネットワークも非常に強いですし。2005年の会議はパリのユネスコでありまして、ユネスコの参加者もいましたね。そうしたわけで、いまこれが一番没頭していることでして、とても希望にあふれていると感じています。
First published in Cogito (Greece) 5 / 2006(c)Martha Nussbaum, Stelios Virvidakis, Cogito(c) Eurozine (www.eurozine.com)
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