「思想誌空間1 思想誌という不思議なメディア」山本貴光
これから数回にわたって「思想誌」と呼ばれる雑誌について考えてみたいと思います。
というのも思想誌は、思想史でもメディア論でもあまりまとまって顧みられることのないトピックですが、日本では『明六雑誌』以来、知識と人間のかかわりについて考えるうえで、興味深い存在であり続けているように見えるからです。
インターネットが普及し、その気になればウェブを介して手軽に情報を発信できる現在、それでも紙による思想誌が新たに創刊されるのはなぜでしょうか。それを単なる紙媒体へのノスタルジーや惰性だとみなすのは早計です。印刷という、書き手にとって原稿から手を離さざるを得ない契機を梃子にして、複数の論者の議論を一冊の冊子に編みあわせ、装いを与え、かたちある商品として書店の棚に送り出すこと。他方で読み手としてこれと遭遇し、買い求め、読みとき、触発され、さらなる探究へと向かうこと。ここには、なにか思想誌を媒介することによってのみ可能な独特な場が生成されているのではないでしょうか。
そう思ってみると、思想誌とはたんなる知的なテクストの集成以上のものであるらしいことが見えてきます。ここではこうした関心から、日本における思想誌の現在、そしてこれを位置づけるための過去について考察してみたいと思います。しばしおつきあいいただければ幸いです。