「EU:帝国という亡霊」吉田徹

  • 「α-Synodos vol.0」
余裕をなくしたばかりに、イスラムと遂に武力でもって戦ってしまった<旧帝国>アメリカは衰退し、豊かさを鼻先にぶらさげて、トルコを内的に変革させた<新帝国>ヨーロッパは誕生した。オクスフォード大学のジエロンカは、前者を「ネオ・ウェストファリア帝国」、後者を「ネオ・中世帝国」に分類する(『帝国としてのヨーロッパ』)。「ネオ・ウェストファリア帝国」は領土を征服によって獲得し、統治システムは中央集権的で、従属国との関係は非対称的である。「ネオ・中世帝国」は領土を他国の招待によって獲得し、多中心的で開放的である。

しかしアメリカが世界に豊かさをもたらしたのと同じように、新たな帝国にも肯定すべき点があると、社会学者ウルリッヒ・ベックは反論する。ベックは「文化的変容についての特定の社会様式」を備えたヨーロッパは、再帰的近代における普遍性を備えた帝国であると主張する(『コスモポリタン・ヨーロッパ』)。それは他者の包摂が可能となる「政治的能動性を持ったユートピア」である。どの国民(臣民?)であっても、欧州司法裁判所という超国家権力に訴えて権利を回復できる取り決めは、確かに人間中心主義という価値を担っている。ナショナルなものを解体し、市民を新たな普遍性のもとに再編成するこの権力体は抗いがたい求心力を持つ。これこそが帝国性のメルクマールである。

アメリカはヨーロッパと違って建国以来、少なくとも意識的には帝国主義者であったことも、植民地主義者であったことは一度もない。そのアメリカが最も「帝国的」であったというのが20世紀後半の最大の逆説だったかもしれない。

そうなのだとすれば、意識的な帝国主義と植民地主義者であったヨーロッパの根本原理が撤回されたことによって、新たな普遍的権力を備えた帝国が生まれていることが、21世紀最大の逆説とはいえないだろうか。それは、トーマス・マンやシュテファン・ツヴァイクといった生粋のヒューマニストたちの夢破れたヨーロッパが、亡霊のように徘徊しているようにみえる。少々酔いが過ぎたようだ。



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