Mail Magazine|思想のメルマガ
有料メールマガジンお申し込み
はじめに
バックナンバー
コラム
座談会
特別対談
特別寄稿
連載
翻訳
公募論文
編集後記
掲載情報

はじめに 〜シノドスの動機と方針〜

対談:芹沢一也×荻上チキ

芹沢: なるほど。志賀直哉を数字の組合せで読み解くような蓮実さんの批評は、まさに物語に抗うものでしたね。そうした物語への回収に抗う批評というのは、おっしゃるように一回的なものでしかありえない。

まあでも、そうした批評の強度なるものは、いまとなってみれば、物語の存在に逆に依存していたわけでもありますね。だけど現在はテーマ批評を可能にしたような物語性など、仮構としても共有することなどできません。だからさまざまに異なった意見が、垂直的なものとのあいだにあった緊張感を失って、たんに横並びに乱立してしまう。

要するに、文学批判なるものとは、大文字の「文学」を前提にしていて、「文学」が掘り崩されてしまうと、たんにベタな批評だけが残ったみたいな話ですね。おそらく、かつて垂直的なものとのあいだで担保されていた根拠が切り崩された結果、水平的な、おっしゃるようなトライブ間での対立によって自身の根拠を担保しようとしているのでしょう。そして、自らに居心地のよい物語を、それぞれが独善的に仮構してしまっている。ひとつのテーマで世界を切り分けて、分りやすい物語に回収するというのはそうしたことでしょう。

宮台さんの話についても、そう思いますよ。ブログなどでの僕の少年犯罪に関する議論の使われ方をみると、むしろ逆に犯罪被害者運動とそっくりに写ります。犯罪被害者運動というのは正当な根拠をもったものだけれども、しかし「犯罪被害者」の気持ちだけを汲み取るべきだというような形になってしまうことで、「犯罪被害者」という視点だけからみた、全体としてはきわめて問題のある司法改革運動になってしまっている。僕の仕事はそういう事態に対して、違う文脈や違う想像力を作るために書かれたもののはずです。

しかし僕の本はベタな宮台批判として取られ、別の世代や立場への攻撃の道具に使われている。そういう一つの視点からの個人攻撃になるのが非常に貧しいと批判していたのに。僕の本は別に宮台さんが悪いとかそういう話ではなくて、90年代の終わりに少年犯罪をめぐる言説のトレンドがはっきりと変わり、そのトレンドが宮台さんの言説にも刻印されていたという話です。歴史の変容を語るための、ひとつのサンプルでしかない。宮台さんも言っているように、いち社会学者がトレンドを作ったというような話はまったくしていない。でも、なんだか宮台さんが時代を作ったとか、有害だったというような「運動」の話になっている。

荻上: 個人に還元するのは楽ですが、それではベタな陰謀論とか疎外論になってしまいます。

芹沢: 今は「運動」の時代なんですよ。「運動」の時代においては、現場や「運動」の力学が強くなって、どうしても思想や理論は軽くみられがちになる。あるいは従属させられてしまう。





▲ページの先頭へ戻る
  Copyright © 2007 KAZUYASERIZAWA.COM (JAPAN). All rights reserved.