はじめに 〜シノドスの動機と方針〜
対談:芹沢一也×荻上チキ
荻上: 同様の問題意識は、東浩紀さん、北田暁大さんが立ち上げた『思想地図』にも共有されていますね。『思想地図』の立ち上げシンポジウムの際に語られていたことで印象的だったのは2つ。1つは、非常に近視眼的な、あるいは「実践的な議論」ばかりが求められる現状において、一見役立たないとされる、しかし脈々と受け継がれてきた「知」そのものを考える場を構築する必要があるということ。これは、これまでの議論の相対化によって浮き上がる現実がある一方で、功罪をセットでデリートすることで「功」の部分も喪失してしまいかねないという問題意識でもあると思います。もう1つは、『批評空間』が作ろうとしていた、グローバルな議論との連動性と外部に向けた発信を意識するということ。「現実」と向き合うという時、パフォーマンスやマーケティングの問題の重要性は繰り返し指摘されますが、特定のマーケットや目の前の客の反応だけを見ているのはまずいということ。
この2つは、具体的には「日本」「世代」という二つの条件に縛られた議論ばかりされている現状について疑いを持つ事から出発しているように思います。この問題意識は正しいと思う。しかしシノドスでは、問題意識はある程度共有しつつ、『思想地図』とはおそらく別の方向に舵を切っていくことになります。
シノドスのメールマガジンでは、歴史的な議論と現代をつなげつつ、各専門などに次々にスポットを当てていきながら「行間」を浮き上がらせていきたい。メルマガというツールであれば、各コンテンツを柔軟に配置できますし、タイムリーな時事にも対応できます。特に、複数のテーマを同時に提示することも出来るのは魅力的ですよね。僕には、現状はあまりにテーマ批評的すぎると思うので、その作業は必要だと思います。
芹沢: テーマ批評的というのは?
荻上: 文学理論におけるテーマ批評という手法は、例えば蓮實重彦さんがおやりになったように、映画や小説から「赤」「水」「拾い上げる動作」などひとつのテーマだけで複数のテクストを解釈していく手法です。これは特定の"物語"に回収する解釈に対して批判的に機能しますが、だからこそコンテクストへの意識と、その批判が一回性であることへの自覚が必要になる。ところが今はそのようなテーマ批評の出自とは逆に、1つのテーマによって白黒切り分けて世界全部をなで斬りにし、分かりやすい物語へと回収するようなスタイルが溢れているように思います。
しかしテーマ批評はコンテクストに依存しますし、プラットフォームなきテーマ批評の乱立はトライブ間の対立をむしろ根深いものにしてしまう。こういう手法的な限界や問題点を、ある種の「現実」を訴える実証主義に感じるんです。身近な例では、芹沢さん自身の議論の使われ方も気になっていました。芹沢さんの議論を使って、宮台真司さんの言説を失効させるというようなタイプの議論をブログなどでよく見かけますよね。その議論の仕方は、おそらく「いつか見た風景」を何年か後にまた反復させてしまう。