橋本努・芹沢一也・セミナー参加者
「ネオリベラリズムとは何か 前編」

  • 「α-Synodos vol.3」

芹沢一也とミシェル・フーコー


橋本:本日はお忙しい中、お集まり頂きありがとうございます。こういうセミナーが成り立つのはどういうことなのか、想像がつかなかったのですが、なるほど、と段々状況が把握できてきた気がします。芹沢さんと僕は、ほぼ同世代なんです。僕は67年生まれで、彼が68年生まれということで、原風景として、二十歳頃に東欧革命を経験しています。社会主義諸国の崩壊と資本主義の勝利が謳われた革命でした。それまではしかし、日本の論壇や学者の半分以上は、ソ連にシンパシーを感じていた「左派」だった。小学校の先生まで含めて、そうだったんですね。ですから、80年代までの現実として、左派的な発想というものは、ごく日常的に感じられた。しかしそれが東欧革命でガラっと崩れた。そういう時代経験を持っています。

そうした中で、私がはじめに掴んだテーマは、資本主義と社会主義とでは、どちらがいいのか、という一大論争で、この一大論争をもう一度見直す、という作業から取り掛かりました。あるいはまた、2001年のテロ事件の際には、私はたまたまニューヨークにいて、その前後2年間で、「テロられた」という感覚があります。とくに炭そ菌事件があって、ニューヨークでは当時、ひょっとしたらこれはサリン事件みたいなことが起きて死ぬかもしれないな、と感じていました。とくにニューヨーク大学へ地下鉄で通勤していたので、この世界がいったいどうなるのか、と。

それまでニューヨークにいて、最初の1年間は経済学を勉強していたんです。けれども9.11事件がおきて、それを全部やめて、まったくの素人のところから、国際関係論に入っていきました。だから僕が言っているのは、素人的なことで、どの学会にも属してはいない。学会ベースで云々という話ではありません。

さて、まず今回のセミナーの取っ掛かりとして、芹沢さんのお仕事から、話を始めましょうか。芹沢さんは、フーコーをベースに、あるいはそれにインスパイアされた形でお仕事をされてきて、処女作で『"法"から解放される権力』という本を書かれた。これはかなり出色が窺える本だと思いますので、ここから話を始めます。

この本のなかで、なにが面白いのかと言えば、大正デモクラシーの時期ですね。明治30年代後半から、大正6,7年にかけてのこの時期、犯罪、精神病、貧困、それに加えて民本主義と人格主義というものが出てくるんですが、芹沢さんは、このテーマを理想主義の「擬態」として、つまりそれを裏から見るという仕方で、面白く描いています。例えば、犯罪で言うと、この時期に「治療」というのがテーマになってくる。法の支配に基づいて人を罰するというのではなく、むしろ法の支配から、罪刑法定主義から、離れたところで、福祉国家という社会理念にもとづいて、「予防」や「治療」という観点から刑罰が決められる、という一大転換点を迎えるわけです。

面白いのは、その時期に、ちょうど精神医学会の勃興が重なっている、という芹沢さんの着眼点です。これはフーコーのテーマなんですが、狂気というものは、歴史のなかで、まさに当時、発見される。「この人は狂気だから、法的な責任を負えないので、精神病院にぶち込んだほうがいい」という具合に、です。それで当時、精神病院がどんどん増え.....



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