鈴木謙介・芹沢一也・セミナー参加者
「後期近代における不安とセキュリティ 後編」

  • 「α-Synodos vol.2」

前回に引き続き、鈴木謙介さんの参加された座談会の模様をレポート。前回は「脱近代(ポストモダン)」と「後期近代(レイトモダン)」のパラフレーズを鈴木さんが行い、「情報(化)社会」における「不安」や「セキュリティ」という問題意識が立ち現れる構造モデルについて整理。それに対し、芹沢さんが、後藤道夫の「企業主義的統合論」を紹介しつつ、日本における労働モデルの形態変化を解説。日本の「ポスト・モダニズム」がどのような文脈で登場したのかを再確認するという応答が交わされました。

今回の座談会ではそれらの整理を踏まえ、医療、少年犯罪といった個別のテーマを掘り下げていく内容となっております。どうぞご覧あれ。(構成:chiki)


リベラルとネオリベラルの地盤


芹沢:欧米、とくにアメリカとイギリスですが、70年代末から80年代にかけては、新自由主義によって福祉国家や高度な社会保障が攻撃対象になっていた時期ですね。あるいは、ポストフォーディズム体制が成立するとともに、雇用が流動化し、それに合わせて学校教育のあり方も変容した。つまり、高度成長型の社会システムがラディカルに変容していった時期に、日本では全く反対に高度成長期に成立した企業主義が純化された。

現代思想の文脈では、規律社会の終焉といったことが言われた頃ですね。それが日本では全く反対に、規律権力的なものが社会に深く浸透しました。ちょっとお聞きしたいのですが、日本での校則的なものというのは、形式化されて自動運動をはじめた規律権力という感じなんですかね?

鈴木:「こうそく」っていうのは、学校の校則?

芹沢:そう、校則。

鈴木:ああ、学校の校則って自動化した規律のようにも確かに見えなくはないし、実際ワンポイントが付いてるか付いてないか、とかいうどうでもいい話だったりすると思うんですけど、たぶん教育史的な流れで言うと、校則というか管理教育というのが話題になるのが80年代だと思います。それは、「プロ教師の会」の諏訪哲二さんとかの話の流れを総合しながら見ていくと、1960年代の終わりから高校全入運動っていうのが始まって、70年代の頭に高校の進学率が確か99%を超えるんですよ。そのくらいから、受験地獄、後に受験戦争って言い換えられる言葉が出てきて、同時に校内暴力などで荒れる高校が話題になると。「スクールウォーズ」の世界で、ガラスがガッシャーン! っていうのが出てくるわけですよね。

で、管理教育って校内暴力を封じ込めるために、部活を強制化すると同時に管理を強化しようっていう流れで確か出てきているので、初発の時点では規律強化だったんですよ。ところが、その規律強化そのものが自己目的化すると、まあ服装の乱れは心の乱れで、規律そのものの意味ではなくて、規律に従っているかどうかっていうことだけが問題になってくる。その時に、その規律をどのくらい細かく作れるか、っていうところでルールの設計が行われてくるわけです。

たぶんさっきの80年代と90年代の違いで一番でかいのは、89年に広島で起こった、女子高生校門圧死事件。僕当時はっきり覚えてますけど、僕は高校演劇をやってたので、けっこう全国大会のパンフレットを見ると、広島の高校生が、要するに高校圧死事件の高校の演劇部の子が、「うちの学校は全く手の付けられない状態になっている」と。つまり、校門圧死事件以降には管理教育が不可能になったので。

芹沢:タガが外れたってことですか?

鈴木:タガは外れたというか、教師側が何も出来なくなったわけですよ。っていうことが、全国的にバラバラではあったけど起きて、東京は元々都立校ってそんなに校則厳しくなかったんですけど、地方は基本的に公立校の方が厳しいですね。その公立校っていうのが右にならえで、段々校則管理教育を緩くしていくと。私立校はけっこう後まで残るんですけど。っていう流れの中で、校則による管理みたいなものが、なかなか不可能になってくる時代が90年代以降やってくるんですよね。

芹沢:なるほど。欧米だと70年代の半ばに薄れていった規律権力が、日本では80年代以降強まり、そしてそれが90年代に…。

鈴木:つまり、強まりすぎて、破綻したわけです。


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