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運動の時代と思想の不在(芹沢一也)

  • 「α-Synodos vol.0」
一方、黎明会が第一回講演回を開催し、1500人もの聴衆が会場につめかけた1919(大正8年)1月、この頃を満川亀太郎はのちに「黎明か、暗雲か、世界歴史の転換を載せて、地球は一九一九年の新春を迎えた。それは即ち日本の大正八年でもあった」と書きつけている。満川の頭にあったのは「日一日急迫せる日本改造の問題」だった。そして、同年8月に大川周明とともに結成したのが猶存社、「革命日本の建設」を目的とした右翼の実践団体である。だが、結成当初は国家改造の指針がなかった。

そこで猶存社が理論的指導者として迎えたのが北一輝である。そのために上海にいた北を大川周明が迎えに出向いたが、その頃、北はちょうど『国家改造案原理大綱』を執筆していた。猶存社は北一輝とともに、国家改造のプログラムを手にしたのだ。ここに日本の革新右翼は成立する。それは19世紀的なものを超克した右翼思想の誕生だった。ちなみに、北一輝が帰国したのは1920(大正9)年12月、それは日本社会主義同盟が成立したときでもあった。デモクラシーを中心に、それに対抗しながら左右の勢力が出揃ったわけである。

吉野作造(デモクラシー)、大杉栄(アナーキズム)、山川均(ボルシェビズム)、そして北一輝(革新右翼)。19世紀的な進歩思想のピークをかたちづくり、20世紀的な左右の革命思想へと橋渡したこの時期の思想家たちは、興味深いことに同じ世代に属していた。生年をみてみよう。吉野作造、1878(明治11)年、大杉栄、1885年(明治18年)、山川均、1880(明治13)年、北一輝、1883(明治16年)。彼らを日清・日露戦争期に思想形成した世代として括ることができるだろう。ではそれはどのような時代だったのか。1901(明治34)年に第一高等学校に入学した田辺元の回想をみてみよう。



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