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2008年5月 ARCHIVES

2008年5月15日

セミナー#19 片山杜秀(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「中今・無・無責任」――近代日本右翼思想は今に何を語りうるか

日時 2008年5月31日(土) 15時~17時

講師 片山杜秀(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「中今・無・無責任」――近代日本右翼思想は今に何を語りうるか

セミナー概要
 私は『近代日本の右翼思想』という本で、大正から敗戦までの右よりの思想の変遷について論じたつもりです。
 欧米流の近代化が気に入らない。また、伝統的共同体が壊され、個人がアトム化してしまって孤独でつらくて耐えられない。そこで、失われた麗しき過去に立脚して、現状の変革を求める。しかし、右翼が理想化された過去の代表者として最終的に見出だすのは天皇で、そこにアイデンティティを求めるからこそ日本の右翼は右翼らしくなるのだけれど、その天皇が日本の現状の代表者でもあることによって、右翼にあるはずの現状変革のモティーフは現状肯定の方にからめとられていって、変化を求める思想としては機能不全に陥ってしまう。北一輝も大川周明も権藤成卿も、とてもインパクトのある人ですが、その「変革の思想」にどこか肝腎な押しが足りないとすると、理由はそのへんにあるのかと思います。とにかく、うまく先に進めないとすれば、とりあえず解決への処方箋を出すのを先延ばしようという「保留の思想」も現れてきます(典型は安岡正篤でしょう)。さらに、絶対なる天皇を仰ぐ今現在の推移に身を任せて、自力で何かできると考えるな、ありのままの現実をただ受け入れよという、言わば無思想の思想さえ登場します。それは「中今の思想」と呼ぶことができ、三井甲之や蓑田胸喜などがその思想の担い手だったと言えるでしょう。また京都学派の「無の思想」もそこに関係してきます。そしてその先には、人間として歴史や政治や社会や経済のことを考えるのをやめ、ただからだだけを美しく磨いて、死ぬときは潔く死ねばいいんだという「頭なき肉体の思想」さえ出現し、一億玉砕や神風特攻隊をイデオロギー的に援護射撃したのです。
 私は、この道筋を確認することが、現代の日本の問題を考えるために、そっくりそのままということはないけれど、多少は役に立つのではないかと感じています。そもそも私が大正・昭和の右翼にそういう筋書きを見出だしたくなったのには、1980年代にポスト・モダンという言葉が高唱された頃の何とも頼りない時代経験、それに続いて目の当たりにしたバブル期における一種の思想停止状況、平成という、平らかに成って止まっていればいちばんおめでたいという意味上の含みをもった元号の採用への驚き(その提案者は安岡正篤だとも言われています)、冷戦構造崩壊後やバブル崩壊後の推移に対して理性が無力でありつづけたことへの諦念、もうひとつ昨今の武道から美容整形に至る「唯身体教」とでもいいたい雰囲気への興味といったものが、重畳しているからです。
 と、長々と書いてしまいましたけれど、もとより短い時間ですから、何でもかんでもというわけにはいかないでしょう。しかし、とりあえず、「中今」と「無」、そしてそういう思想に対して戦後すぐ丸山眞男が与えた「無責任」という名辞といったあたりを、多少なりとも関係づけて論じられれば、近現代の日本への知見を何か深めていただけるのではないかと信じます。

片山杜秀(かたやま・もりひで) 1963年生まれ。慶應義塾大学法学部准教授(有期、政治文化論担当)。専攻は政治思想史。著書に『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『音盤考現学』(アルテスパブリッシング)、『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング)、共著書に『日本主義的教養の時代』(パルマケイア叢書)等。

2008年5月19日

セミナー#20 吉田徹(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「ニッポンの民主主義」

日時 2008年6月14日(土) 15時~17時

講師 吉田徹(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「ニッポンの民主主義」

セミナー概要
 90年代の政治改革は、戦後の「一党支配」からの脱却を目指しただけでなく、「政権交代のある民主主義」を目指した「政治工学(constitutuional engineering)」の日本における誕生を意味していた。もっとも英米デモクラシーを基準としたこれらの一連の改革は、かつて丸山眞男が指摘したように「抽象的命題の拡大主義」に基づく、およそ(日本における)デモクラシーとは何であり、どのようなものであるべきか、という規範的な問題意識を捨象した改革の過程だった。
 実際、70年代以降、アングロサクソンでのデモクラシーとは異なる形式のデモクラシーが"発見"されるにつれ、デモクラシーをめぐる議論は深まりをみせることになり、また一方ではグローバル/国家横断的なデモクラシーのあり方が検討される中で、「モデル」としての二大政党制はその弊害だけでなく、歴史的に生成されたものであるという論点も省みられることがなかった。
 このセミナーでは、戦後知識人の中における、とりわけ実践的政治知とでもいえるものとして、どのようなデモクラシー観が提示され、そして90年代の"断絶"の中で、どのような前提をもとに(マニフェスト選挙!)にして政治学者が改革にコミットしていったのかを精査することとする。それと同時に、最近のデモクラシーをめぐる議論を参照しつつ、U.ベックが指摘するような「後期近代」における新たな民主主義のあり方が存在するのかどうか(もしくは「ポスト・デモクラシー」期におけるその不可能性)、確認をしていきたいと思う。
 こうした一連の作業は、ネオリベが全面化する時代でどのような利益集合が可能なのか、という実践的問題につらなるだけでなく、「私たちのデモクラシーとは何か」という、とりもなおさず、極めて想像力にまつわる問題を提起することになるはずである。

吉田徹(よしだ・とおる) 北海道大学公共政策大学院准教授(欧州比較政治・フランス政治史)1975年東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒、日本貿易振興機構、パリ政治学院、東京大学総合文化研究科(学術博士)を経て現職。共著に『先進デモクラシーの再構築』、『政治学のエッセンシャルズ』、『政権交代と民主主義』『執政の比較研究』(ともに近刊)。現在、フランス・ミッテラン政権の社会主義から欧州統合への転換に関する著作を準備中、月刊誌『論座』のコラム「潮流」を担当。ウェブサイト:Yoshida Toru.com