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2007年08月 ARCHIVES

2007年08月03日

レクチャー#01終了 雨宮処凛×本田由紀(ゲスト)×芹沢一也(司会)「なぜ、生きることがこんなにも大変なのか」

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レクチャー参加者の感想です。

 「すごく勉強になりました。ありがとうございました。私は会社の中で、自分がもっている「生きづらさ」みたいなものに、共感されない、気づいてもいない皆に囲まれて、どうすればいいんだ!!っと思います。でも、ただの会社にとって都合のいい人材にはなりたくない。」

 「実際にどう考えて、決断すればよいか(生きていけばいいのか)よく分かりません。ただ、それは自分ですべきことなのでしょう。ただ、そのようなことを考えて下さる方々がいらっしゃることが、私にとってのささやかな希望であり、助けになっています。雨宮さん、本田先生、ありがとうございます。」

 「尊敬と憧れの対象である雨宮先生、本田先生にこれほど近い場所からお話を聴くことができ、終始緊張しておりました。両先生の著作はほとんど読ませていただいておりますが、本日は「文字(活字)」でなく「声」で聴かせていただき感動していました。非常に充実した2時間でした。SYNODOSのレクチャーやセミナーの露出度を高め、このよい企画がより多くの人々の目に触れるようになれば嬉しいです。」


Synodosは著者と参加者が同じ目線でコミュニケーションする場でありたいと望んでいます。
レクチャーではメディアで注目中の著者を招いて、話題作での主張や執筆の背景などについて講演します。
次回は社会学者の鈴木謙介さんをお招きします。どうぞお気軽にご参加下さい!

セミナー#06 高桑和巳×芹沢一也「ミシェル・フーコー再入門」

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日時 2007年9月2日(日) 14時~17時

講師 高桑和巳×芹沢一也

タイトル 「ミシェル・フーコー再入門」

現在、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーがふたたび重要性を増している。だがそれは、かつてとは異なった相貌をもつフーコーである。「生権力」「統治性」「セキュリティ」、こうしたタームとともに現われるフーコーとは、わたしたちの〈現在〉を語る上で何をもたらしてくれるのか。今回はその核心ともいえる『安全・領土・人口』を翻訳した高桑和巳氏をお招きして、フーコーの現在性についてお話しいただく。

セミナー概要
ミシェル・フーコーがあらためて注目されている。東浩紀氏の『情報環境論集』(近刊)も、萱野稔人氏の『権力の読みかた』も、この哲学者の議論を重要な参照項としている。フーコー自身が刊行に関わり1978年に出されていた『哲学の舞台』(渡邊守章氏との共著)も増補復刊されている。一時期まで、社会学や社会批評の文脈で参照されるフーコーといえば「一望監視施設(パノプティコン)」で有名な規律(ディシプリン)論『監獄の誕生』(1975)だったが、いまは違う。この10年あまりはむしろそれ以降(具体的には1970年代後半)のフーコーが注目されている。代表的なキーワードは規律や矯正ではなく、セキュリティや統治だ。最近の動きはこの近年の傾向を最終的に総括するものだ。私が芹沢一也氏と論集『フーコーの後で』を編集したのは、いわばこの運動を明確化し決定づけるためだと言っていい。私はまた、この「フーコーの後」を代表する幻の連続講義『安全・領土・人口』(1978)を翻訳する機会にも恵まれた。そこで今回は、まずこの500ページにおよぶ大著の要諦を翻訳者の目からまとめ、そのうえで、論集での議論をふまえつつ「なぜいま、あらためてフーコーなのか」を明確化してみたい。

高桑和巳(たかくわ・かずみ) 1972年神奈川県生まれ。慶應義塾大学理工学部専任講師。翻訳家。フランスやイタリアのいわゆる「現代思想」関連の著作を紹介。訳書にジョルジョ・アガンベン『人権の彼方に』(以文社、2001年)、同『ホモ・サケル』(以文社、2003年)、同『バートルビー』(月曜社、2005年)、ミシェル・フーコー『安全・領土・人口』(筑摩書房、2007年)、編著に『フーコーの後で―統治性・セキュリティ・闘争』(芹沢一也との共編、慶應義塾大学出版会、2007年)などがある。