日時 2007年5月12日(土) 14時~17時
講師 雨宮処凛×芹沢一也
タイトル 「ネオリベラル社会を生き抜くために」
わたしたちが生きる社会は、歴史上、もっとも「自由」な社会のひとつである。人びとを縛りつけてきたコミュニティは、いずれもが危機に瀕している。終身雇用制度や安定した賃金体系の崩れた職場は、もはや働くものに社会人としての尊厳を保証しない。社会に個人を送りだすのを使命とした家庭や学校も、当然、その権威が根底から揺らいでいる。男らしさや女らしさなどといったら、もはや冗談にしか聞こえないだろう。多くの論者が、こうした社会状況に警笛を鳴らしている。だが、それは頭ごなしに否定すべき事態なのか。「この世に『正しい』生き方なんてないはずだ」(雨宮処凛)という言葉のもつポテンシャルを、ネオリベラル社会への闘争宣言の書、『生きさせろ!』とともに考えてみたい。
芹沢一也 「民営化」されるアイデンティティ
家庭、学校、そして社会を結ぶライフコースが、段階的に固定していた時代は過ぎ去った。個人の努力にはもはや、あらかじめ目的地は与えられていない。それどころか、個人的な生活の終着点にたどり着くまえに、目的地は激しく何度も変更されるのが普通である。わたしたちの生きる現代は、完全に個人中心の時代であり、ライフスタイルをかたちづくる任務は個人の両肩にかかっている。しかも、失敗すればその責任は個人にだけ帰せられる。数多の公的な事柄とともにアイデンティティも、いわば「民営化」されたのだ。とはいえ、均質性と文化の同質性、アイデンティティに対抗して、多様性の自由を保証しようとする動向自体は、決して否定されるべきものではない。問題はそこに冨の公正な配分が伴っていないことなのである。今回はこのことを考えてみたい。
雨宮処凛 「難民」たちよ、100円でマクドナルドを24時間占拠して反撃しよう
ネットカフェ難民、マック難民という言葉に象徴されるように、今、この国では若者の「難民」化が起こっている。しかし、当事者たちにもそのことが認識されず、自らが貧乏なのも、働いても働いても生活はまったく楽にならないことも、10年以上フリーター生活を続けても時給は20歳の時と変わらないことも、すべてが「自己責任」という言葉に回収され、なぜこんなにも生きていくことが大変なのかがわからない。そんな中、彼らは自らを責め、ある者は自らの命を断ち、ある者はこの社会に見切りをつけてひきこもり、ある者は過労状態に自らを追い詰めていく。しかし、悪いのは決して若者ではない。02年から20代、30代の死因の一位を「自殺」が独占しているこの国で、「生存権」すらも脅かされている現状とその打開策について、話したいと思っている。
雨宮処凛(あまみや・かりん) 1975年北海道生まれ。ゴスロリ作家。元パンク歌手&元政治活動家。自己経験を元に描いた『生き地獄天国』(太田出版)をはじめ『自殺のコスト』(太田出版)、『暴力恋愛』(講談社)、『EXIT』(新潮社)など数多くの著作を生み出している。ドキュメント映画『新しい神様』(監督・土屋豊)に出演。活動の幅を広げている。
オフィシャルWebサイト:雨宮処凛 公式ホームページ