セミナー#25 林香里(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「脱マスメディア時代?―「パブリックな知」を「パブリックに」共有することの難しさ」

日時 2008年8月23日(土) 15時~17時

講師 林香里(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「脱マスメディア時代?―「パブリックな知」を「パブリックに」共有することの難しさ」

セミナー概要
 かつて、「パブリックな知」を社会に提供することは、マスメディアの任務だった。しかし、いまはどうだろうか。
 私たちの社会が複雑化し、細分化し、しかもグローバル化していく過程において、マスメディアという、基本的に国民国家を単位とした一情報媒体にどこまで希望がもてるだろうか。私たちの多くは、これまで幾度となくマスメディアの行状に失望したり怒りを覚えたりしてきたが、それをふまえた上で、やはりまだ社会におけるマスメディアの役割が残っているとすれば、それは何なのだろう。
 また、マスメディアという媒体や産業が衰退するからと言って、ジャーナリズムという営為までが霧散してしまうことにはならないはずだ。そこで、ブログやSNSなどネットのツールを使った「みんなのメディア」を公共的知のリソースとして活用するときの利点と限界についても話し合いたい。
 以上の問いへの答えは簡単には出ないが、論点を公共圏理論や民主主義理論などとともに整理しながら考えていきたい。

林香里(はやし・かおり) 1963年名古屋市生まれ。ロイター通信東京支局記者、東京大学社会情報研究所助手、ドイツ、バンベルク大学客員研究員を経て、現在東京大学大学院情報学環准教授。専門はジャーナリズム/マスメディア研究。主要著書・論文に『マスメディアの周縁 ジャーナリズムの核心』新曜社、2002年。「『冬ソナにハマった私たち』文春新書、2005年。「「公共性」から「連帯」へ― 労働としての「メディア」と「ジャーナリズム」を考える」『世界』7月号、2007年、54-65頁。「マスメディア・ジャーナリズムを支配する「最大多数の最大幸福」の最大不幸: 職業倫理の検討とその刷新の可能性」 『論座』7月号、2008年、26-31頁がある。主要翻訳書は、N. ルーマン著『マスメディアのリアリティ』木鐸社、2005年 (Realit?t der Massenmedien. Westdeutscher Verlag, 1996)。

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セミナー#24 信田さよ子(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「家族内暴力の臨床-加害・被害と世代間伝達」

日時 2008年8月17日(日) 15時~17時

講師 信田さよ子(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「家族内暴力の臨床-加害・被害と世代間伝達」」

セミナー概要
 カウンセラーというと、たいてい「心の問題」を扱うのであり、現状補完的・再適応促進的機能を果たす職業と思われがちである。私は70年代からアルコール依存症の臨床にかかわり、その後アディクション一般、さらには背後の家族への介入、暴力の加害・被害へと対象を拡大してきた。日本では、アディクションは精神科医療においてマージナルな対象であり、まして臨床心理学においてはほとんど扱われないといっていい。アメリカが例外なのは、プラグマティズムの伝統と、マイケル・ムーア監督「シッコ」で描かれているように、国民皆保険が撤廃されていることと無関係ではない。95年以来開業カウンセリング機関を経営しているが、まず本セミナーでは精神科医療とわれわれの実践との区別を知っていただきたいと思う。さらに、近年のDVや虐待防止の流れがどのようにカウンセリングの現場に影響を与えているかについてもお伝えしたい。
 現在、私はDV被害者、虐待被害者、DV加害者を対象としたグループカウンセリングを実施しているが、そこで展開するものは「心」の変化ではない。中心的課題は「責任」であり、「正義」であり、家族(夫婦・親子)観である。そして家族の関係を規定しているものは、まぎれもない権力であり、それは腕力よりも言説の支配によって表現される。また子ども(といっても成人である)の暴力に日夜怯えている両親は、どのように対応したらいいのかを苦慮している。そこで必要とされるのは、「心」のケアや生易しい「理解」でもなく、北朝鮮をめぐる六カ国協議にも似た戦略なのである。親子関係の諸問題は、確実に次世代の問題と重なることはいうまでもないだろう。このような日々の臨床活動が私の仕事である。個別具体的な家族の臨床現場と、社会歴史的変動とがどのように切り結ぶのかを当日の参加者の皆様といっしょに探っていきたい。

信田さよ子(のぶた・さよこ) 1946年生まれ。お茶の水女子大学哲学科卒業後、同大学大学院修了(児童学専攻)
駒木野病院勤務などを経て95年に原宿カウンセリングセンター設立、所長として現在に至る。2003年度、内閣府男女共同参画推進課「配偶者からの暴力の加害者更生に関する調査研究会」ワーキングチームメンバー、2005年度法務省「性犯罪者処遇プログラム研究会」構成員、お茶の水女子大学非常勤講師などをつとめる。著書に「アダルト・チルドレンという物語」(文春文庫)「アディクションアプローチ」「DVと虐待」(ともに医学書院)、「愛しすぎる家族が壊れるとき」(岩波書店)「結婚帝国・女の岐れ道」(上野千鶴子との共著)「カウンセリングでなにができるか」(大月書店)「加害者は変われるか」(筑摩書房)「母が重くてたまらない・墓守娘の嘆き」(春秋社)などがある。

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セミナー#23 山下範久(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「グラスのなかの〈帝国〉」

日時 2008年7月27日(日) 18時~20時

講師 山下範久(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「グラスのなかの〈帝国〉」

セミナー概要
 グローバルに飲まれているお酒、ワイン。人類史的な長いスパンでワインの普及をみたとき、ガリアにワインをもたらしたのはローマ帝国でした。新世界にワインをもたらしたのはヨーロッパの植民地帝国でした。ワインの拡大の背後には、帝国が介在していたのです。今日の進行しているワインのグローバル化の背景にも、やはり帝国が介在しています。しかし、その帝国の作用は、ワインのなかにどのように現れているのでしょうか。あるいはむしろ逆にワインを通して、その帝国を見たとき、私たちが生きているグローバル化の先に、いったいどのような世界が見通せるのでしょうか。今回のセミナーでは、ネグリ/ハートの『〈帝国〉』を補助線に、テクスト/フィールドとしてのワインを読み解いてみたいと思います。

山下範久(やました・のりひさ) 1971年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。1995‐97年、米国ニューヨーク州立大学ビンガムトン校(ビンガムトン大学)社会学部大学院にてイマニュエル・ウォーラーステインに師事。北海道大学大学院文学研究科助教授。専門は、世界システム論、歴史社会学。著書に「帝国論」(講談社選書メチエ)、「世界システム論で読む日本」(講談社選書メチエ)。訳書に「イマニュエル ウォーラーステイン 脱商品化の時代―アメリカン・パワーの衰退と来るべき世界」(藤原書店)、「イマニュエル ウォーラーステイン 入門・世界システム分析」(藤原書店)、「アンドレ・グンダー フランク リオリエント―アジア時代のグローバル・エコノミー」(藤原書店)などがある。

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セミナー#22 飯田泰之(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「経済学思考と現代日本の政策シーン」

日時 2008年7月6日(日) 15時~17時

講師 飯田泰之(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「経済学思考と現代日本の政策シーン」

セミナー概要
現代日本の政治,政策立案に欠けているものが経済学思考に他なりません.経済学と聞くと,非現実的な仮定から難解な数学をこねくり回して意味のわからない結論を導くもの......と考える人も多いようです.しかし,現代の経済学の基礎になる部分(私はこれを経済学思考と呼んでいます)は原理原則に基づいて,問題を整理し,愚直に論理を用いてそれを処理していくというものであり,各種の仮定や数学はその思考を助けるための道具に過ぎません.残念なことに日本の政治・政策,さらにはその評論も原則なしに行われ,整理されないままに短絡的な答えを求め,論理的な理解を無視しています.経済学そのものの詳細を知るには地道な学習が必要です.しかし,経済学を「使える」ようになるのは案外簡単なことなのです.失われた10年のマクロ経済政策,ねじれ国会における政策決定の歪みなど--原則・整理・論理のステップを意識して現代日本の政策シーンを解読することを通して,よりよい政策を自身の思考から案出していく力を身につけていただければと考えています.

飯田泰之(いいだ・やすゆき) エコノミスト.1975年東京生.東京大学経済学部卒業,同大学院博士課程単位取得退学.現在駒澤大学経済学部准教授.内閣府経済社会総合研究所,参議院特別調査室等の客員を歴任.専門は経済政策,マクロ経済学.主著に『経済学思考の技術-論理・経済理論・データを使って考える』(ダイヤモンド社),『ダメな議論』(ちくま新書),『考える技術としての統計学―生活・ビジネス・投資に生かす』(NHKブックス),『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社,共著,第47回日経・経済図書文化賞受賞)など.ブログ:「こら!たまには研究しろ!!

セミナー#21 広田照幸(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「教育改革をめぐる政治的構図を読み解く」

日時 2008年6月29日(日) 15時~17時

講師 広田照幸(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「教育改革をめぐる政治的構図を読み解く」

セミナー概要
 教育改革をめぐる対立軸の変容の問題を考えたい。米ソ冷戦体制を反映した1970年代までの対立軸では、もはや読み解けないような事態が生じている。たとえば、旧来の対立図式から見ると「ねじれ」にしかみえない事態や、旧来の対立図式から見ると同じ陣営にあるはずの諸アクターが争っている、といった事態である。ここでは、1980年代以降の教育改革をめぐる政治的構図の変容を整理することで、近年の教育改革論議が置かれていた社会的・政治的文脈を明らかにし、今後の教育政治をめぐる構図について、見通しを立てていきたい。ひと言つけ加えると、教育問題を語る枠組みを、そうした視点から組み立て直すことが必要だと、私は思っている。というのも、教育制度や教育政策レベルでの改革は、実は広範な影響を教育の日常レベルに及ぼすことになるからである。教育制度や教育政策レベルでの改革論がわかりにくいため、教育について何か考えたい人たちの関心は、つい青少年非行とかいじめとか、教師論など、単純でわかりやすい事象に向かってしまいがちである。それらはシロウトでもいじれるネタなのだ。しかし、そのことが、議論の磁場を歪めてしまっている。教育政治リテラシーを身につけた市民が、「教育をよくする」ために教育制度や政策をめぐる議論をできるようになれば、もう少しましな教育になるだろうと思っている。

広田照幸(ひろた・てるゆき)  1959年、広島県比婆郡生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得の上退学。南山大学文学部講師・助教授、東京大学大学院教育学研究科助教授・教授を経て、2006年10月から日本大学文理学部教授。専門は教育社会学。著書に、『陸軍将校の教育社会史――立身出世と天皇制――』(世織書房、第19回サントリー学芸賞受賞)、『日本人のしつけは衰退したか――「教育する家族」のゆくえ』(講談社)、『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会)、『教育には何ができないか』(春秋社)、『思考のフロンティア 教育』(岩波書店)、『教育不信と教育依存の時代』(紀伊國屋書店)、『《愛国心》のゆくえ――教育基本法改正という問題――』(世織書房)他がある。

セミナー#20 吉田徹(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「ニッポンの民主主義」

日時 2008年6月14日(土) 15時~17時

講師 吉田徹(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「ニッポンの民主主義」

セミナー概要
 90年代の政治改革は、戦後の「一党支配」からの脱却を目指しただけでなく、「政権交代のある民主主義」を目指した「政治工学(constitutuional engineering)」の日本における誕生を意味していた。もっとも英米デモクラシーを基準としたこれらの一連の改革は、かつて丸山眞男が指摘したように「抽象的命題の拡大主義」に基づく、およそ(日本における)デモクラシーとは何であり、どのようなものであるべきか、という規範的な問題意識を捨象した改革の過程だった。
 実際、70年代以降、アングロサクソンでのデモクラシーとは異なる形式のデモクラシーが"発見"されるにつれ、デモクラシーをめぐる議論は深まりをみせることになり、また一方ではグローバル/国家横断的なデモクラシーのあり方が検討される中で、「モデル」としての二大政党制はその弊害だけでなく、歴史的に生成されたものであるという論点も省みられることがなかった。
 このセミナーでは、戦後知識人の中における、とりわけ実践的政治知とでもいえるものとして、どのようなデモクラシー観が提示され、そして90年代の"断絶"の中で、どのような前提をもとに(マニフェスト選挙!)にして政治学者が改革にコミットしていったのかを精査することとする。それと同時に、最近のデモクラシーをめぐる議論を参照しつつ、U.ベックが指摘するような「後期近代」における新たな民主主義のあり方が存在するのかどうか(もしくは「ポスト・デモクラシー」期におけるその不可能性)、確認をしていきたいと思う。
 こうした一連の作業は、ネオリベが全面化する時代でどのような利益集合が可能なのか、という実践的問題につらなるだけでなく、「私たちのデモクラシーとは何か」という、とりもなおさず、極めて想像力にまつわる問題を提起することになるはずである。

吉田徹(よしだ・とおる) 北海道大学公共政策大学院准教授(欧州比較政治・フランス政治史)1975年東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒、日本貿易振興機構、パリ政治学院、東京大学総合文化研究科(学術博士)を経て現職。共著に『先進デモクラシーの再構築』、『政治学のエッセンシャルズ』、『政権交代と民主主義』『執政の比較研究』(ともに近刊)。現在、フランス・ミッテラン政権の社会主義から欧州統合への転換に関する著作を準備中、月刊誌『論座』のコラム「潮流」を担当。ウェブサイト:Yoshida Toru.com

セミナー#19 片山杜秀(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)「中今・無・無責任」――近代日本右翼思想は今に何を語りうるか

日時 2008年5月31日(土) 15時~17時

講師 片山杜秀(聞き手:芹沢一也 司会:荻上チキ)

タイトル 「中今・無・無責任」――近代日本右翼思想は今に何を語りうるか

セミナー概要
 私は『近代日本の右翼思想』という本で、大正から敗戦までの右よりの思想の変遷について論じたつもりです。
 欧米流の近代化が気に入らない。また、伝統的共同体が壊され、個人がアトム化してしまって孤独でつらくて耐えられない。そこで、失われた麗しき過去に立脚して、現状の変革を求める。しかし、右翼が理想化された過去の代表者として最終的に見出だすのは天皇で、そこにアイデンティティを求めるからこそ日本の右翼は右翼らしくなるのだけれど、その天皇が日本の現状の代表者でもあることによって、右翼にあるはずの現状変革のモティーフは現状肯定の方にからめとられていって、変化を求める思想としては機能不全に陥ってしまう。北一輝も大川周明も権藤成卿も、とてもインパクトのある人ですが、その「変革の思想」にどこか肝腎な押しが足りないとすると、理由はそのへんにあるのかと思います。とにかく、うまく先に進めないとすれば、とりあえず解決への処方箋を出すのを先延ばしようという「保留の思想」も現れてきます(典型は安岡正篤でしょう)。さらに、絶対なる天皇を仰ぐ今現在の推移に身を任せて、自力で何かできると考えるな、ありのままの現実をただ受け入れよという、言わば無思想の思想さえ登場します。それは「中今の思想」と呼ぶことができ、三井甲之や蓑田胸喜などがその思想の担い手だったと言えるでしょう。また京都学派の「無の思想」もそこに関係してきます。そしてその先には、人間として歴史や政治や社会や経済のことを考えるのをやめ、ただからだだけを美しく磨いて、死ぬときは潔く死ねばいいんだという「頭なき肉体の思想」さえ出現し、一億玉砕や神風特攻隊をイデオロギー的に援護射撃したのです。
 私は、この道筋を確認することが、現代の日本の問題を考えるために、そっくりそのままということはないけれど、多少は役に立つのではないかと感じています。そもそも私が大正・昭和の右翼にそういう筋書きを見出だしたくなったのには、1980年代にポスト・モダンという言葉が高唱された頃の何とも頼りない時代経験、それに続いて目の当たりにしたバブル期における一種の思想停止状況、平成という、平らかに成って止まっていればいちばんおめでたいという意味上の含みをもった元号の採用への驚き(その提案者は安岡正篤だとも言われています)、冷戦構造崩壊後やバブル崩壊後の推移に対して理性が無力でありつづけたことへの諦念、もうひとつ昨今の武道から美容整形に至る「唯身体教」とでもいいたい雰囲気への興味といったものが、重畳しているからです。
 と、長々と書いてしまいましたけれど、もとより短い時間ですから、何でもかんでもというわけにはいかないでしょう。しかし、とりあえず、「中今」と「無」、そしてそういう思想に対して戦後すぐ丸山眞男が与えた「無責任」という名辞といったあたりを、多少なりとも関係づけて論じられれば、近現代の日本への知見を何か深めていただけるのではないかと信じます。

片山杜秀(かたやま・もりひで) 1963年生まれ。慶應義塾大学法学部准教授(有期、政治文化論担当)。専攻は政治思想史。著書に『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『音盤考現学』(アルテスパブリッシング)、『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング)、共著書に『日本主義的教養の時代』(パルマケイア叢書)等。

セミナー#18 酒井隆史×芹沢一也「Constituent Imagination――いまだ訳されざる諸テキストからみる「もう一つの世界は可能だ」」

日時 2008年5月17日(土) 14時30分~17時

講師 酒井隆史×芹沢一也

タイトル 「Constituent Imagination――いまだ訳されざる諸テキストからみる「もう一つの世界は可能だ」」

セミナー概要
 グローバル・ジャスティス運動(GJM)の展開につれて、新しいクリティカルな知のうねりが徐々にかたちをとって浮上しつつある。整理したいならばいろいろ表現はできよう。ポスト・シアトルの思想、ポスト・ポスト68年の思想、アウトノミスト(自律主義)+シチュアシオニスト+アナキズムなどなど。哲学はもちろん、経済学から歴史学、人類学までその領域も横断的である。こうした趨勢は、おそらく直接にはGJMの動きと変貌の渦中にありながら、しかしより幅をとってみるならそれは、知の生産や流通の形態の変容、それを取り巻く権力と自己の編成の変容といった、大きな地殻変動を文脈としているに違いない。ここでは近年公刊された複数の理論家のテキストを紹介しながら、いまそこで何が起きているのか、考えてみたい。

酒井隆史(さかい・たかし) 1965年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修了。現在、大阪府立大学教員。著書に『自由論――現在性の系譜学』(青土社)、『暴力の哲学』(河出書房新社)、共著に『フーコーの後で』(慶応大学出版)など。訳書にアントニオ・ネグリ&マイケル・ハート『<帝国>――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(以文社)などがある。現在、『現代思想』誌にて「通天閣」連載中。

セミナー#17 高原基彰×芹沢一也「日本・韓国の相互認識とラディカリズム――韓国の進歩イデオロギーと日本のアジア観の事例から」

日時 2008年4月26日(土) 14時~16時

講師 高原基彰×芹沢一也

タイトル 「日本・韓国の相互認識とラディカリズム――韓国の進歩イデオロギーと日本のアジア観の事例から」

セミナー概要
 冷戦体制下の政治においては、「高度成長」に国の目標を設定し、その目標のために「市民参加」「民主主義」を一定程度抑圧することに妥当性がある、という前提があった。わたしはそれを「開発主義」と呼ぶ。この「開発主義」に対し、それぞれの国内で対抗する「ラディカリズム」が、政治勢力として存在していた。
 現在、両国で「保守化」と呼ばれている現象は、かつて存在したこの国内におけるラディカリズムへの異議申し立ての動きである。こうしたラディカリズムは、多くの場合、人文社会的知の内部で正統性を――「政治的公正さpolitical correctness」を――持つものとされてきた。「保守化」という言葉は、この「正統性」の揺らぎであり、だからこそ危機感を持たれている。
 開発主義とラディカリズム、過去の保守/革新の対立構図は、冷戦体制という歴史的文脈によってこそ形成されたものであり、その中であるべき国家像をめぐる論争でもあった。日韓双方における対外的な強硬派/穏健派という対立軸は、この論争と深く関係していた。
 しかし、九〇年代以来のグローバル化――「新自由主義化」と言っても良い――がもたらす「政治」のもとでは、こうした論争の背景をなしていた文脈が消失していく。ラディカリズムへの信頼が失われていった背景として、かつての保守/革新いずれにも吸収されない「不安感」が、あるべき国家像よりも、個人単位の経済状況をめぐる議論を、新しい政治的正統性の弁別基準として前面に押し出していったことがある。
 現在の所もっとも不透明な論点は、こうした「保守化」と、東アジアのいわゆる「ナショナリズムの相克」として問題になるような、国際政治学的な主題とがどう接続しているのか、誰にも分からないというものである。本レクチャーではこの点について、それぞれの国の「左右対立」の来歴と、それが「新自由主義化」へ転化していく経緯を分析することから考察を加えてみたい。

高原基彰(たかはら・もとあき) 1976年神奈川県生。日本学術振興会特別研究員。東京大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。日本・韓国・中国の開発体制の変容とグローバリゼーションにともなう社会変動を研究。著書に『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)、共著に『グローバリゼーションと文化変容』(世界思想社)、『若者の労働と生活世界』(大月書店)など。
オフィシャルブログ:高原基彰blog

セミナー#16 白井聡×芹沢一也「リベラリズムの越え方」

日時 2008年4月13日(日) 14時~16時

講師 白井聡×芹沢一也

タイトル 「リベラリズムの越え方」

セミナー概要
現代社会の閉塞が語られるようになって既に久しい。にもかかわらず、「閉塞」と名指される状況への望ましい処方箋は未だ何も見つかっていないように思われる。現代のドミナントな政治経済的イデオロギーがリベラリズムにほかならない以上、現代の閉塞はリベラリズムの閉塞でもある。二〇世紀末からリベラリズムは「ネオ・リベラリズム」へと「進化」することによって、この閉塞を打開してきたとも言えるかもしれないが、それは逆に閉塞をますます強める結果を生んだにすぎないようにも見える。本セミナーでは、リベラリズムがデッドロックに陥ったロシア革命前後の時代の思想を振り返ることによって、かつて試みられた「リベラリズムの超克」の内容を検討してみる。そこから、今日の閉塞状況がいかなる構造を成しているのかについて、何らかの示唆を得ることを目指したい。主に、レーニン、フロイト、シュミット等の言説に言及する予定である。

白井聡(しらい・さとし) 1977年東京都生まれ。日本学術振興会特別研究員。専門は政治学・政治思想。著書に『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』(講談社選書メチエ)。